赤ちゃんの名づけの参考やご自身の運勢を知りたくて、姓名判断の無料サイトを見ると、サイトによって、「画数が違う」「どの流派が正しいんだろう」と悩まれる方もいるのではないでしょうか。
私は、どのサイト(流派)が「正しい」「間違っている」ということはないと思います。「考え方の違い」だと考えます。
画数がサイト(流派)によって数え方が違うのは、どうしてでしょうか?
姓名判断の流派の違い
本字派か筆勢主義派か
まず、昭和初期、日本に姓名判断を普及された第一人者であられる熊崎健翁先生(「五聖閣法」と言う名前で姓名判断を発表)の画数の数え方「本字(元字、正字)派=康熙字典派」と、書き順通りに数える(漢和辞典に載っている画数)「筆勢主義派」かによって画数の数え方は違います。
「本字(元字、正字)派」は、漢字本来の意味や成り立ち、すなわち「語源」から画数を計算しますが、必ずしも「旧字体」の画数と同じになるとは限りません。「康熙字典」という中国の漢和辞典を見ないと、その画数はわかりません。康熙字典での画数は、ネットでも見つかります。
例えば、「さんずい」を「3画」と筆順通りに数える筆勢主義(漢和辞典の画数)派に対して、本字派は、「さんずい」は、本来「水」からなるので「4画」と数えます。
ちなみに「酒」のサンズイは3画と数えます。お酒を造るのに水は使わないので、酒のサンズイはこの場合「水」ではなく、酒は「酉」という部首の漢字として区分されます。ですので、10画と数えます。ちなみに、筆勢主義派でも「酒」は10画と数えます。
旧字体か新字体か
また、「旧字体」の画数を数えるのか、「新字体(1946年以降に告示された簡易自体)」の画数を数えるのかも流派によって分かれます。例えば、「澤」は旧字体で「16画」、「沢」は新字体で「7画」と数えます。
当会の画数の数え方
私はどのように画数を数えているのかと申し上げますと、熊崎式ではございません。
「基本的に戸籍の漢字」が旧字体なら旧字体、新字体なら新字体の画数を漢和辞典の画数通りに数える方法(=筆勢主義)を用いております。それは、「戸籍に載ってこそ」この世に誕生した、ということが認められるからです。
しかし、戸籍の名前が旧字体でも、普段の生活で新字体で姓名を書いていたり、表記されているのなら、新字体の画数で鑑定した方が、「当たっている」と言われるケースが少なくありません。
「なんだ、姓名判断なんてしょせん、その程度の信ぴょう性なのか」と思われるかもしれませんが、姓名判断の信ぴょう性がその程度か否かは別として、「普段使う名前」でその人が「認知され」そこに「運勢が宿る」ものと考えます。
考え方が違うからと言って批判し合うのは・・・
どのサイト(流派)を参考にするかどうかは、その姓名判断士の考え方も含めて、お客様がお決めになるのが良いと思います。「これだ!」と納得できる方(流派)が、縁があると思うのです。
そのような「感性」を大事にすることは、決していい加減なことだとは思いません。理論理屈で答えが出ない場合もございます。
大体、「運(勢)」というもの自体、科学的には証明されないものです。しかし、間違いなく「運が左右する」ということは多くの方が体感され、否定できるものでもないでしょう。
姓名判断に限らず、私は、「完全なオリジナル」というものは存在しないと思っております。また、「オリジナル」「元祖」だから正しいとも言えないのではないでしょうか。
ロウソクで生活していて、安全なランプが開発されたらランプを使い、さらに電気代が気になるならLEDを選択することは自然の流れです。これが、いくつも流派ができる理由だと思うのですが、ロウソクの炎が好きな方はロウソクを使えばよいですし、火事が心配なら電球、省エネに気を使うならLEDを選べば良いと思うのです。
それが、ご自身が「これだ!」に当たる部分だと思います。
もしくは、いろいろな流派のやり方を実際にやってみて、どれが自分にしっくりくるか(当たっているか)をご自分で検証すること以外にこの問題の答えは出ないでしょう。
姓名判断は、弘法大使(空海)が唐で学んだのち記した「聲字相義(せいじそうぎ)」が原点だといわれています。
後世が、それを研究・改良し経験や知識を加えて「〇〇流」「本家」「宗家」と名乗っておられるのかと存じますが、どれが正しいのかは、誰にも決めようがございません。ただ、一方が他方の流派を批判したり、自分の流派以外は亜流だ、と言うのならば、運勢を扱うものとしては残念に感じます。
付くべくして付く名前
「自分が正しい」と主張したとたん、他者は「誤っている」という前提でその理論が展開していきます。
切磋琢磨という目的で、意見を交わすのは有意義ですし、建設的なことだと思います。
占いに限らず「絶対」というものは存在しないと常々、私は思っております。「うちの流派が、正統派だ」「この占術が絶対に正しい」「他の流派や占術は間違っている」と断定はできないでしょう。
占術にはそれぞれ、得手・不得手があり、その占術では観れること・観れないことがありますし、修得に一生かかるほど難解であれば、実際、使い勝手が悪いわけです。
占術研究家でしたら、一生かけて研究するのも良いですが、占い師として日々たくさんの人々を鑑定するのでしたら、修得しやすい占術を学ぶのも一つの戦略ですし、かと言って、修得しやすい占術だから、鑑定方法が簡便だから鑑定の精度が悪いとも言えないでしょう。
姓名判断の話に戻りますが、極論を言えば、名前は、付くべくして付くのです。
せっかく、高名な先生に命名していただいたのに、届け出を出す瞬間にアクシデントがあったり、何とも言えない不吉な予感がして、結局、別の名前で届け出を出した、という話があります。
また、本当に、「姓名判断の先生が命名されたのですか?」とお聞きするようなお名前がついている場合もあります。
そういう姓名判断士と出会ったのも運であり、縁なのです。一生懸命、悩んで、調べてご夫婦で検討に検討を重ねて付けたお名前に、「大凶」という画数があったとしたら、そういう名前が付く縁だったということです。もちろん、画数がすべてではございません。五行のバランスが良ければ、凶作用が出てこない場合もございます。
また、適当に付けた名前なのに、運勢バランスが良いお名前も拝見しました。聞くと、親御さんや祖父母、その家系の方々の生き様が良かったりします。
「結果として名前は付く」ものであり、「名前は家系の成績表である」と日々実感しております。
名前が悪いから、不幸になる訳ではありません。運勢を作る要素は、名前だけではありません。持って生まれた運勢(家系的背景、因縁と言ったりしますね)、育ってきた時代背景、環境、遺伝・・・いろんな要素が運勢を作ります。
そして、良い思考、良い言葉、良い言動が良い人生へとつながります。
「占い」に振り回されずに、「今、ここ」に意識を向け、「今、ここ」で最善を尽くしませんか?
名前の「大凶」に囚われるより、その方がずっと建設的で、開運へ、豊かな人生へとつながりますよ。
四柱推命が難しかった方へ